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江戸川乱歩を味わいながら少しだけ著作権を考える

2023.07.21

※本記事は、知財系ライトニングトーク#21 拡張オンライン版 2023 夏に参加しています。

目次

1.江戸川乱歩

我が国の推理小説の作家で真っ先に頭に思い浮かぶのは、おそらく江戸川乱歩であろう。世代が限られるかもしれないが、小学校の図書館に置いてある「少年探偵シリーズ」に中高学年あたりで接したことが江戸川乱歩との最初の触れ合いである、という人は多いのではないだろうか。「少年探偵シリーズ」にはまったその後、本格的な乱歩作品に進んでいった人も多いであろう。かくいう私もその一人であり、小学校の図書館に置いてある「少年探偵シリーズ」は読み尽くし、置いてないもので気になるものは本屋で買って読み、高校生になってからは、春陽堂の本格的な乱歩作品を読み漁ったものである。

ところで、乱歩作品は、推理小説としての筋立て(登場人物の設定も含む)やトリックといった物語設定が秀逸であるのはもちろんのこと、風景描写や人物描写といった文章表現も実に秀逸なのである。小説は、秀逸な物語設定及び秀逸な文章表現のいずれもが揃ってはじめて傑作が生まれるものと考えられることから、いずれもが秀逸な乱歩作品は、新たな読者層を獲得しながらいまだに読まれ続けているのであろうと想定される。

ここで、小説が上記した物語設定及び文章表現を中心として構成されるものであると雑に把握した場合、文章表現は、創作的な表現を保護する著作権によって著作物として保護される可能性がある。もちろん、文章表現ではあっても創作的な表現でなければ、著作権で保護される著作物には該当しないことになる。著作物に該当するような創作的な表現とは、いったいどのような表現なのであろうか。ある文章表現が著作物に該当するかどうかの判断は、最終的には裁判所の判断によらなければならない、非常に難しい問題である。

本稿では、このような難しい問題に真正面から向かうことなく、乱歩の小説において私が味わい深いと考えている創作的な文章表現を厳選して取り上げて、その妙味をまったりと堪能することを主眼としつつ、文章表現に関する著作権についてもほんの少しだけ考えてみたい。

 

2.「箱根富士屋ホテル物語」事件がもたらしたもの

著作物性の判断に真っ向勝負しないとはいっても、「実際のところどうなの?」といった程度には気になる人もいるかもしれないので、乱歩の名文を堪能する前に、文章表現の著作物性に関してなされた法的な判断を少しだけ眺めておきたい。

小説ではなくノンフィクション作品ではあるものの、文章表現の著作物性が大きな論点となった裁判例を紹介する。箱根富士屋ホテルというホテルの経営者のドキュメンタリーである「箱根富士屋ホテル物語【新装版】」を執筆した原告が、同じく箱根富士屋ホテルの経営者について被告が著した「破天荒力 箱根に命を吹き込んだ『奇妙人』たち」の文章表現について、原告書籍の文章表現を無断で複製あるいは翻案したとして、著作権侵害を主張したのである(東京地裁平成20(ワ)1586)。

東京地裁は、原告が主張した、原告書籍の文章表現と被告書籍の文章表現との類似性について、大部分の文章表現については「(被告書籍の文章表現は原告書籍の)創作的表現を再製したとはいえず、また、創作性のある表現上の本質的な特徴を直接感得することもできない」として、著作権侵害を否定した。

一方で、

原告書籍の文章表現:正造が結婚したのは、最初から孝子というより富士屋ホテルだったのかもしれない

被告書籍の文章表現:彼は、富士屋ホテルと結婚したようなものだったのかもしれない

について、東京地裁は、「語句や言い回しそのものはよく用いられるものであっても、ある思想又は感情を表現しようとする場合に多様な具体的表現が可能な中で、特に当該語句や言い回しを選んで用い、当該語句や言い回しを含む表現がありふれたものとはいえない場合には、表現上の創作性を有するというべきである。」として、原告書籍の文章表現は著作物に該当するとして、被告書籍の文章表現は原告書籍の文章表現の複製であるから著作権侵害になると判断したのである。

これに対して被告は控訴し、著作権侵害の判断は知財高裁に持ち込まれた(知財高裁平成22(ネ)10017)。知財高裁の判断は、東京地裁の判断から一転し、「『(特定の事業又は仕事)と結婚したようなもの』との用語は、特に配偶者との家庭生活を十分に顧みることなく特定の事業又は仕事に精力を注ぐさまを比喩的に表現するものとして広く用いられている、ごくありふれたものといわなければならない。しかも、『だったのかもしれない』との用語も、特定の事実に関する自己の思想を婉曲に開陳する際に広く用いられている、ごくありふれた用語である。」として、著作物性を否定したうえで著作権侵害を認めなかったのである。

著作権のうち複製権についての侵害は、先行する創作物(ここでは文章表現)に著作物性が認められたうえで、①先行著作物に依拠すること、及び②先行著作物に類似すること、によって認められる。

「箱根富士屋ホテル物語」事件の第一審では、原告書籍の文章表現に著作物性を認めたうえで、①依拠性及び②類似性も認めて、被告書籍の文章表現は著作権侵害であると判断したのであるが、第二審では、①依拠性及び②類似性を検討するまでもなく、原告書籍の文章表現にそもそもの著作物性を認めなかったのである。このように、第一審と第二審とで真っ向から判断が異なることから、文章表現の著作物性について、この事件から何かしらの規範を導き出すことは難しいのかもしれない。文章表現に著作物性が認められるかどうかの判断は、非常に難しい問題であることが理解できる一例といえよう。

 

3.味わい深い乱歩の名文

では、数ある乱歩作品の中から厳選した乱歩の名文を、いくつか紹介することにしたい。以下、ネタバレ要素を含む場合があるので、ご注意を願う。

 

その海は、灰色で、まったくさざなみ一つなく、無限のかなたにまでうち続く沼かと思われた。そして、太平洋の海のように、水平線はなくて、海と空とは、同じ灰色に溶け合い、厚さの知れぬもやにおおいつくされた感じであった。空だとばかり思っていた上部のもやの中を、案外にもそこが海面であって、フワフワと幽霊のような大きな白帆がすべっていったりした。(「押絵と旅する男」より)

 

少し翳りのある海といった情景が浮かんでくる、まるで絵画か映画でも見ているかのような美しい描写である。文章に透明感が漂っている一方で、どこか不安を掻き立てるような、そこはかとない落ち着きのなさも感じられる。乱歩の小説のなかで、私が最も好きな「くだり」である。

 

親不知の断崖を通過するころ、車内の電灯と空の明るさとが同じに感じられたほど、夕闇がせまってきた。(「押絵と旅する男」より)

 

これも同じく「押絵と旅する男」からの描写であり、「車内の電灯と空の明るさとが同じに感じられた」という夕闇を修飾する描写がみごとである。車内がぼんやりとした明るさであることが、情景としてありありと浮かんできそうな描写である。

 

電燈のひかりと、空のあかるさが、ちょうど同じくらいという、あの、なんとなく、へんな気もちのする時間でした。すれちがう人のすがたが、ひどくぼんやりして、影のように感じられる、たそがれのひとときです。(「宇宙怪人」より

※「江戸川乱歩 誰もが憧れた少年探偵団『孤独すぎる怪人』(中井英夫)」(河出書房新社)

 

先の「押絵と旅する男」と同じような情景を描写したものであり(乱歩はこの「時間」が好きなのだろう。)、相通ずる文章表現ではあるものの、「すれちがう人のすがたが、ひどくぼんやりして、影のように感じられる、たそがれのひととき」という描写が付け加えられた「宇宙怪人」の文章表現には、独特のすごみというか恐ろしさが感じられるのである。

 

砲弾の破片のために、顔全体が見る影もなくそこなわれていた。左の耳たぶはまるでとれてしまって、小さい黒い穴が、わずかにその痕跡を残しているにすぎず、同じく左の口辺からほおの上を斜めに目の下のところまで、縫い合わせたような、大きなひっつりができている。右のこめかみから頭部にかけて、醜い傷あとがはい上がっている。のどのところがグイっとえぐったようにくぼんで、鼻も口も元の形をとどめてはいない。(中略)わずかに完全なのは、周囲の醜さにひきかえて、こればかりは無心の子どものそれのように、涼しくつぶらな両眼であったが、それが今、パチパチといらだたしくまたたいているのであった。(「芋虫」より)

 

負傷して醜く豹変してしまった痛々しい顔の詳細な描写が続いた後、両眼だけは、負傷する前と少しも変わっていないことが明かされる。禍々しさと少しの可愛らしさというコントラストのある描写を対比させることによって、両眼の存在を際立たせることに成功している。なぜ両眼の存在を際立たせたのか、それはこの物語の結末に大きく関与している。ネタバレになるのでこれ以上の言及は避けるが、この部分の描写は文章表現が素晴らしいだけでなく、この物語にとって重要な伏線が張られているという意味においても、非常に重要な描写である。

 

いつとも知れぬ、ある暖かい薄曇った日のことである。それは、わざわざ魚津へ蜃気楼を見に出かけた帰り道であった。わたしがこの話をすると、時々、おまえは魚津なんかへ行ったことはないじゃないかと、親しい友だちに突っ込まれることがある。そういわれてみると、わたしはいつの何日に魚津へ行ったのだと、ハッキリ証拠を示すことができぬ。それではやっぱり夢であったのか。だが、わたしはかつて、あのように濃厚な色彩を持った夢を見たことがない。(「押絵と旅する男」より)

 

自分の記憶が不鮮明で判然としないという、パラレルワールドに迷い込んだかと思わせるような不安定さ、あるいは居心地の悪さを感じさせる描写には、背後を少し振り返りたくなるような恐怖を感じる。読者を物語の中にぐっと引き込む乱歩の文章表現の巧みさには、舌を巻かざるをえない。

もっとも、この部分の文章表現は、もしかしたら物語の場面設定というアイデア(思想、感情)であって、文章表現それ自体に著作物性が認められるかどうかは、それこそ「不鮮明で判然としない」かもしれない。著作物として保護を受けられるのは表現それ自体であって、思想や感情といったアイデアは著作物として保護を受けられないことを意味する「アイデア/表現二分論」という著作権の根幹に関わる、判断の難しい部分なのかもしれない。

 

4.「人間椅子」というロックバンド

ところで、乱歩作品は、文学の枠を超えて音楽にまで影響を及ぼしている。「三宅裕司のいかすバンド天国」(通称「イカ天」)から登場した、「人間椅子」という名称のロックバンドが存在する。「人間椅子」というバンド名はもちろん、乱歩の著名な短編のタイトルからとられたものであって、その音楽の雰囲気も乱歩の世界に相通ずるようなおどろおどろしさを醸し出している(音楽面ではヘヴィメタルの元祖ともいわれる英国の「ブラック・サバス」の影響を強く受けている。)。

この「人間椅子」は、バンド名のみならず、曲名やアルバム名にも乱歩作品を題材としたものが多く見受けられる※1。以下、乱歩作品を題材としたと想定される楽曲やアルバムを「曲名あるいはアルバム名(簡単なコメント)/関連する乱歩作品」というフォーマットで列挙してみよう。

 

①陰獣(インディーズ時代の0thアルバム「人間椅子」に収録の曲名)/「陰獣」は著名な中編作品のタイトルである

②踊る一寸法師(5thアルバムのアルバム名及びその収録曲の曲名)/「踊る一寸法師」はとても不気味な短編のタイトルである

③怪人二十面相(9thアルバムのアルバム名)/もはや説明不要であろうが、少年探偵シリーズに登場する登場人物であり、少年探偵シリーズの一作品のタイトルでもある

④蛭田博士の発明(9thアルバム「怪人二十面相」に収録の曲名)/「蛭田博士」は「妖怪博士」という作品に登場する人物の名前である

⑤大団円(9thアルバム「怪人二十面相」に収録の曲名/「大団円」は「猟奇の果」という長編の最終章のタイトルであり、おそらくはここから「拝借」したのであると思われる

⑥芋虫(9thアルバム「怪人二十面相」に収録の曲名)/「芋虫」は名作短編のタイトルである

⑦地獄風景(9thアルバム「怪人二十面相」に収録の曲名)/「地獄風景」は中編作品のタイトルである

⑧新青年(21stアルバムのアルバム名)/乱歩の作品が数多く掲載された大正から昭和にかけて発刊されていた雑誌の名称である

⑨鏡地獄(21stアルバム「新青年」に収録の曲名)/「鏡地獄」は傑作短篇のタイトルである

⑩屋根裏の散歩者(21stアルバム「新青年」に収録の曲名)/「屋根裏の散歩者」は名作短篇のタイトルである

⑪ペテン師と空気男(1枚目のベストアルバムのアルバム名)/「ペテン師と空気男」は中編作品のタイトルである

⑫押絵と旅する男(2枚目のベストアルバムのアルバム名)/「押絵と旅する男」は名作短篇のタイトルである

 

ざっと列挙してみると、乱歩を題材としたこれだけの数の作品があるのである(もしかしたら見落としている作品もあるかもしれない。)。だが「人間椅子」は、乱歩のみならず、「ドグラマグラ」で有名な夢野久作を題材とした作品もいくつか手がけている。雑誌「新青年」に掲載された「あやかしの鼓」(1stアルバム「人間失格」(そもそもこのタイトルも太宰治を題材としたものだ)に収録の曲名)や、短篇「少女地獄」(8thアルバム「二十世紀葬送曲」に収録の曲名)などがそれである。その他にも、推理小説に限らずに文芸作品を題材とした作品が数多くみられ、本人たちは快く思っていなかったようではあるが、歌詞の世界観も含めて「人間椅子」の音楽性は「文芸ロック」などとも称された。

これまで挙がってきた「江戸川乱歩」や「ブラック・サバス」といったキーワードをもとに「人間椅子」の音楽に関心を持たれたようであれば、どれでもいいので彼らの音楽をぜひ聴いてみてほしい。きっと、暗く重くうねる旋律を持ち味とする彼らの音楽センスに惹き込まれることであろう。

だがしかし、数ある乱歩作品の中から、バンド名として「人間椅子」を選択したセンスこそ、彼らの最大の持ち味であろう。「人間椅子」の他にも、「二銭銅貨」や「心理試験」などといった乱歩作品のタイトルがバンド名の候補として考えられていたようであるが、バンド名としてはやはり「人間椅子」がぴったりくる感じがするのであり※2、これをバンド名として持ってくるところに、彼らが乱歩作品を知り尽くしている感が滲み出ているのではないかと私は考えるのである。

 

<注>

※1 小説の題名や曲名のような短い文章には、基本的に著作物性がないと考えられている。

※2 CLOSE UP RIKKYO(立教大学)「乱歩×ハードロック=人間椅子」(https://www.rikkyo.ac.jp/closeup/topics/2023/mknpps0000023ypr.html)におけるメンバー(和嶋慎治)へのインタビューで、和嶋もそのように答えている。

 

<参考文献>

・駒沢公園行政書士事務所日記(2010年2月8日「箱根富士屋ホテル物語」事件−著作権 著作権侵害差止等請求反訴事件判決(知的財産裁判例集)−:http://ootsuka.livedoor.biz/archives/52002965.html

・駒沢公園行政書士事務所日記(2010年7月23日「箱根富士屋ホテル物語」事件(控訴審)−著作権 著作権侵害差止等請求反訴事件判決(知的財産裁判例集)−:http://ootsuka.livedoor.biz/archives/52074854.html

・KAWADE夢ムック(2003)「江戸川乱歩 誰もが憧れた少年探偵団」(河出書房新社)

 

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