サイバー曼荼羅 −コンピュータ文化をカウンターカルチャーのフィルタを通したときに見える世界−【第13回:新世紀直前の雷】
80年代に花を開いたパソコンは、電話やファックス、あるいはコピー機といったOA機器の一端を担うビジネスユースのみならず、例えば備忘録のようなちょっとしたメモや住所録といった文書を作成したり、ダイエットに向けた体重管理を行うためのチャートを作成したり、あるいはテレビゲームに興じたりといったプライベートユースでも、人々の生活に浸透していった。当時、中学生であった私も、父親が購入したパソコン(機種は何であったのか、完全に忘れてしまった…。)を使って、メッセージを出したり消したり、メッセージの着色を一定時間で変化させたりといった簡単なプログラムを、BASICで作って遊んでいた。
80年代の半ばになると、個人のパソコンと特定のサーバとの間だけで接続されるネットワークである、パソコン通信が登場した。パソコン通信は、モデムやカプラを介してパソコンと電話回線とを接続して、電話回線を使ったダイヤルアップ接続によって特定のサーバにアクセスする通信手段である※1。テキストデータによる情報通信が中心であって、電子掲示板や電子フォーラム(チャット)等といった形態で情報通信が行われた。パソコン通信による代表的な電子掲示板としては、スチュアート・ブランドらによって1985年に開設されたWELL※2があり、今でもインターネットコミュニティとして運営されている。
テレックスやファックスによる情報通信や、テレタイプとメインフレームとの間の情報通信のように、パソコンも、パソコン通信という通信手段を獲得することになったのである。しかし、パソコン通信は、1990年代にインターネットが普及することによって、その役目を終えることになったのである。後からみればインターネット前夜として位置づけられるパソコン通信ではあるが、ネットワークにつながって情報機器として機能するというパソコンの可能性を切り拓く大きな一翼を担ったのであった。
インターネットは、仕様の異なる多数のネットワークが互いに接続可能な通信方式によって実現される地球規模のネットワーク網である。そもそも、インターネットは、パケット交換で通信を行うARPANETを起源とするものである。ARPANETは、1966年にARPA(国防省高等研究計画局)のIPTO(情報処理技術部)の部長となったロバート・テイラーが、IPTOの初代部長であったJ.C.R.リックライダーやその後任のアイバン・サザランドとのディスカッションで生まれたコンピュータ・ネットワークに関する構想について、ARPAから予算をとりつけることで開発が開始された。当初は、ARPANETで各大学や研究機関の間を接続して、それぞれの大学や研究機関の間で、研究成果や資料等といった学術情報の共有を図ることを目的としていた。
テイラーは、MITにいたローレンス・ロバーツをARPANETの開発責任者に据えた。ロバーツらの開発陣は、仕様の異なる大型のコンピュータの間でネットワークを確立させるために、大型コンピュータの間に、後にIMP(Interface Message Processor)と称されることになる、通信を制御するための小型のコンピュータを介在させることとした。このIMPが、ルータの原型である。
ARPANETによる最初の通信は、前にも触れたように、UCLA (カリフォルニア大学ロサンゼルス校)とSRI(スタンフォード研究所)内に設置されたダグラス・エンゲルバートの研究機関であるARCとの間で、1969年に行われた。この記念すべき最初の通信では、UCLAからARCに向けて“login”のテキストが送信されるはずであったが、“lo”まで送信したところでシステムが落ちてしまったことから、厳密には“lo”が最初の通信である※3。
この最初の通信の後、ARPANETは、1970年代の中頃までに亘って、全米の各大学や研究所あるいは企業に徐々に広まっていった。その一方で、1970年代の後半から、ARPANET以外の他のコンピュータ・ネットワークも登場するに至り、多数のネットワークが乱立することとなった。これらのネットワークを統合することができれば、もっと大きなネットワークを構築することができる。そのためには、ネットワークごとに異なっている、通信する際のルールであるプロトコルを共通化すればよいであろうという発想が生まれた。その結果、ARPANETの次世代プロトコルとして、TCP/IPが1982年に標準化され、以降、TCP/IPを採用した複数のネットワークを接続する地球規模のネットワークがインターネットであるという概念が提唱された。
インターネットは、90年代の初頭ごろまでは、一般の人々にはほとんど知られていない存在であった。ところが、欧州原子力核研究機構(CERN)のティム・バーナーズ・リーによって発明された、ハイパーテキスト※4で情報を表示するWorld Wide Web (WWW)がインターネット上で実装され、これが1993年に無料で開放されるようになると、この情報(ウェブ情報)を閲覧可能なブラウザがパソコンのOSに搭載されるようになり、これを契機として、一般の人々にも徐々にインターネットが普及していったのである。
インターネットの普及に貢献したブラウザの代表としては、まずはMosaic(モザイク)が挙げられるべきであろう。Mosaicは、米国立スーパーコンピュータ応用研究所(NCSA)によって1993年に提供され、テキストと画像を同一のウインドウ内で表示させることができる点を特徴としていた。
Mosaicの開発チームから派生して誕生したのがネットスケープコミュニケーションズであり、ネットスケープコミュニケーションズによって1994年に提供されたブラウザが、Netscape Navigator※5である。Netscape Navigatorは爆発的なヒットとなり、ネットスケープコミュニケーションズの上場の契機となった※6。
一方、NCSA からMosaicを引き継いだスパイグラス社からライセンスを受けたマイクロソフトが、Mosaicのコードに基づいてInternet Explorerを開発した。Internet Explorerは、検索速度が速くデザインが洗練されており、かつ、当時、一斉を風靡していたWindows OSとバンドルされて提供されたことから、ブラウザにおけるNetscape Navigatorの牙城を切り崩すことになったのだ。
これに対してネットスケープコミュニケーションズは、マイクロソフトのバンドル戦略によるブラウザ市場の「侵犯」を食い止めることを目的として、1998年にNetscape Navigatorの無償配布を行うとともに、エリック・レイモンドの『伽藍とバザール』を手本としつつ、当時、普及しはじめていたLinuxの影響を受けてソースコードを公開して、オープンソースコミュニティ(Mozilla Organization)での開発に委ねることにしたのである。
ブラウザの無償配布もさることながら、ネットスケープコミュニケーションズのような大企業がソースコードを開示したという事実は、当時のコンピュータの世界に大きな衝撃を与えたのであった。しかし、ネットスケープコミュニケーションズはその後、AOLに買収され、開発プロジェクトは継続されたものの、Internet Explorerの勢いに抗うことはできなかった
このように、Mosaicを起点とした各種のブラウザによって、インターネットが広く普及することになった。普及するようになると、当然、その利用環境の向上も図られるようになった。すなわち、接続方式がナローバンドのダイヤルアップ接続からブロードバンドの常時接続へと移行するとともに、通信網もISDNからADSL、さらには光回線のFTTHへと移行することによって、通信速度が大幅に向上したのである。
政治、経済、社会情勢、スポーツ、エンタメ、アングラあるいは場合によっては隣人や知人の身辺情報(!)に至るまで、我々は現在、インターネットを介してあらゆる情報を入手できるようになり、電気、ガス、水道等と同じように、インターネットは社会あるいは生活に欠かせないインフラとなった。インターネットにつながるデバイスも、パソコンにとどまることなく、現在ではスマートフォン、スマートウォッチ、ゲーム端末などあらゆるデバイスがインターネットとつながるようになっており、ありきたりな表現をするとすれば、もはや空気を吸うのと同じくらい自然にかつ無自覚に、我々はインターネットの恩恵に浴しているのである。
スチュアート・ブランドが「情報は自由を求める(Information wants to be free)」と言ったとおり、インターネット上のウェブ情報は、ほぼコストフリーでサイバー空間を自由に行き交っている。ヒッピーが目指してきたひとつのユートピアが、ウェブ情報が自由にやり取りされるサイバー空間で実現されたとみるのは、いささか考えすぎであろうか。
私の場合、インターネットのおかげで、ディスコグラフィ、収録曲とその発表された年、曲順、曲にまつわるエピソード、バンドメンバー、ファミリー・ツリー、プロデューサー、レーベル、レコーディングスタジオ、関連するアーティスト等の情報を頭の中に常時インプットしておかなくてもよくなった※7(「常時インプットしておいて、いったいどこで使う知識なのか」といった、味気のないツッコミは慎んでもらいたい。)。この意味するところを一般化するとすれば、我々は、インターネットを利用することによって、脳内のメモリを開放することができるようになったということであろう。
その一方で、インターネットから得られるウェブ情報は、膨大で有用ではあるものの、石油と同じように「精製しなければ実際には使えない」というデータ(主にビッグデータを念頭にしている。)についての指摘が同様に妥当するであろう。インターネットから得られるウェブ情報は、適切に分析され、適切な見解についての裏付け(根拠)として利用されることによって初めて、本質的な有用性が認められるようになるものと考えている。
ところで、普及当初のインターネットは、マイケル・ベネディクトがその著書『サイバースペース』(1991)で「サイバースペース。これは新しい宇宙だ。世界中のコンピュータと通信回線を使って生み出され維持されるパラレルユニバースだ。」※8と表現したことからもわかるように、カウンターカルチャーから派生したユートピア思想の影響下にあったことから※9、ビジネス目的で利用されることはほとんどなかった。
ところが、90年代の後半になると、インターネットを利用して新規な事業の可能性を求める情報技術産業に参入する企業が注目されるようになり、これらの企業への投資が集中した。中には、実体の伴わない簡易な事業計画書だけで資金調達ができるような事態も多く見受けられるようになり、インターネット関連企業が過度にもてはやされた、狂熱的なドットコム・バブルが発生した※10。
ドットコム・バブルは、1998年9月から2000年3月までの18ヶ月をあっという間に駆け抜けた社会現象であり、多くの企業が生まれたものの、バブルの崩壊とともにそのほとんどが消え去っていった。ドットコム・バブルを経て生き残ったインターネット関連企業としては、グーグル、アマゾン、ヤフー、イーベイ等が挙げられるが、バブルの崩壊によって大きな不況に見舞われることになった。しかし、ドットコム・バブルは単に不況をもたらしただけではなく、インターネットのビジネス目的での利用を促進するという展望をももたらすことになった。
ドットコム・バブル後の2005年から2006年にかけて、インターネットを介したウェブサイトの新たな利用方法に関する概念として、ウェブ2.0という概念が流行した。ウェブ2.0は、オライリーメディアの創設者であるティム・オライリーによって提唱され、一般的には、ウェブ情報を読んだり見たりすることだけにとどまらず、自ら書いて発信することができるようになったウェブの利用状態のことを意味するものと理解されているが、特定の技術を示すものでもないことから、バズワードと把握されている。
このウェブ2.0の流行で注目されはじめたのが、今ではGAFAなどと称されている、Google、Apple、Facebook、Amazonである。GAFAは、Googleが検索エンジンを基軸とした広告ビジネスであり、Appleがハードウェアの製造販売であり、FacebookがSNSを基軸とした広告ビジネスであり、Amazonがeコマースであるといったように、ビジネスモデルはそれぞれ異なっているものの、いずれもインターネットを基盤としてビジネスを展開している点において共通している。
しかも、Googleはスタンフォードで創業し、Appleはクパチーノで創業し、Facebookは創業後にメンロパークに移転し、かつAmazonはシアトルで創業したといったように、いずれの企業も、開放的でかつあらゆるカウンターカルチャーの総本山である西海岸から登場、あるいは西海岸で成長している点が興味深い。
ところで、Amazonの城下町であるシアトルは、コーヒーチェーンのStarbucksを生んだ都市でもあるが、個人的には、インターネットの黎明期である90年代に入ってすぐに世界的に大流行したカルトなドラマの『ツイン・ピークス』(1990〜1991)※11のロケ地として、思い入れがある。『ツイン・ピークス』は、“ツイン・ピークス”という架空の田舎町を舞台にしたいわゆるスモールタウン・ノワールであり、アンジェロ・バダラメンディの耽美的で幻想的な音楽とともに映し出される透明感のある美しい映像を背景として、殺人事件をはじめとしたミステリー、若者の間で蔓延するドラッグ、錯綜する複雑な人間関係に基づいて織りなされる人間模様、ストーリーの根幹をなす超常現象といった多数のテーマを含んだ中毒性のある物語が繰り広げられる。
さらに、シアトルは、ニルヴァーナやパール・ジャム、サウンドガーデンあるいはマッドハニーなどといった地元出身のバンドによって作り上げられた、90年代の初期から中期のロックシーンを席巻してポストロックの方向性を示したグランジの発祥の地でもある。グランジは、オルタナティヴ・ロック※12の一形態として把握され、ハードロックとパンクとが融合したかのようなヘヴィかつラウドなサウンドスケイプを特徴としている。レガシーなロックに反発して台頭したパンクと同様、グランジは、80年代に隆盛を極めた「産業ロック」(ダイナソー・ロックとも称される場合がある。)へのカウンターとして登場した。登場の経緯は、カウンターカルチャーの文脈から誕生したパソコンやインターネットと相通じるものがある。
90年代には、インターネットや(極私的には)グランジといった新しい「スタイル」が登場し、来たるべき新世紀の新しい社会を待望する機運が高まった。しかし、21世紀に入ってすぐの2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロが、世界中に暗い影を落とした。
このいわゆる「9.11テロ」は、インターネット時代になって初の重大事件であるといわれており、旅客機の突入を受けてワールドトレードセンタービルが爆破されて崩壊する光景は、映画『ファイト・クラブ』(1999)のラストでビルが爆破されるシーンとオーバーラップし(もっとも、現実はフィクションをいともたやすく凌駕したのであった。)、自分の頭がどうかしてしまったのではないかと思ったほどに、現実感のない光景であった。「僕は正気なのか」(“Where is my mind” ※13)。
<注>
※1 特定のサーバから他のサーバに切り替えて他のサーバとの間で情報通信を行う場合には、特定のサーバとの接続をいったん遮断したうえで、他のサーバに接続し直さなければならなかった。
※2 80年代の後半から90年代の前半にかけて、グレイトフル・デッドを追いかけて彼らと一緒にツアーを巡るファン(デッドヘッズと称される。)がオンラインミーティングを行う際のプラットフォームとなったことでも有名である。
※3 その1時間後、システムが復旧して、当初の予定どおり、“login”のテキストの送信に成功した。
※4 テッド・ネルソンのザナドゥ計画に端を発するものであって、WWWのハイパーテキストはザナドゥ計画を矮小化したものであると捉える向きもあり、テッド・ネルソンは、WWWのハイパーテキストについてザナドゥ計画を単純化したものに過ぎないと斬り捨てた。しかし、実際には、WWWのハイパーテキストでは、ザナドゥ計画で想定されていたハイパーテキストよりも豊富な機能が実現された。
※5 我が国では、「ネスケ」などと略称されて親しまれた。
※6 ネットスケープコミュニケーションズがインターネットスイートを開発する新規プロジェクトとしてスタートさせたMozillaによって、Netscape Navigatorとは別のブラウザであるFirefoxが2004年に提供された。
※7 そうはいっても、インターネットで検索するための「モノサシ」的な最低限の情報(知識)は、やはり持っておく必要があるあろう。このことはもちろん、音楽に限られるものではない。
※8 木澤佐登志 著(2019)『ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』イースト・プレス P.19
※9 当時の日本では、インターネットはサブカルチャーやSFの文脈で受容され、一部では、悪趣味系、鬼畜系等のアンダーグラウンドな情報を入手する場としても認識されていた。
※10 日本では、ソフトバンク、ヤフージャパン、楽天、サイバーエージェントやライブドア等がいわゆるIT(インターネット)関連企業として注目を集めた。
※11 『イレイザー・ヘッド』(1976)、『エレファント・マン』(1980)、『ブルー・ベルベット』(1986)あるいは『マルホランド・ドライブ』(2001)等、数々の評価の高い作品を作り出した奇才デヴィッド・リンチによるテレビシリーズであり、2018年に続編が制作されたことによって、1990年から1991年にかけて放映された序章を含む全29話は、ファーストシーズン及びセカンドシーズンからなるオリジナル・シリーズと称されることとなった。オリジナル・シリーズは、後の海外ドラマブームを作り出した作品としても名高い。
※12 レガシーなロックや産業ロックとは距離を保ち、サウンド面及びビジュアル面のいずれの面においても、アンダーグラウンドな暗い雰囲気を漂わせている点が特徴である。ソニック・ユース、ピクシーズ、ジーザス&メリーチェーン等が代表的なバンドとして挙げられる。
※13 “Where is my mind”(1988)ピクシーズ
<参考文献>
・クリス・ディボナ サム・オックマン マーク・ストーン 編著 倉骨 彰 訳(1999)『オープンソースソフトウェア 彼らはいかにしてビジネススタンダードになったのか』オライリー・ジャパン
・エリック・スティーブン・レイモンド 著 山形 浩生 訳(1999)『伽藍とバザール』光芒社
・中野明 著(2017)『IT全史 情報技術の250年を読む』祥伝社
・ジョン・マルコフ 著 服部 桂 訳(2007)『パソコン創世 第3の神話 カウンターカルチャーが育んだ夢』NTT出版
・平塚三好 阿部仁 著(2015)『ICT知財戦略の基本がよ〜くわかる本』秀和システム
・ピーター・ティール ブレイク・マスターズ 著 関美和 訳(2014)『ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか』NHK出版
・菅野政孝 大谷卓史 山本順一 著(2012)『メディアとICTの知的財産権』共立出版
・ジェームズ・ブライドル 著 久保田晃弘 監訳 栗原百代 訳(2018)『ニュー・ダーク・エイジ』NTT出版
・木澤佐登志 著(2019)『ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』イースト・プレス
・小向太郎 著(2011)『情報法入門(第2版)』NTT出版
・ロマン優光 著(2019)『90年代サブカルの呪い』コア新書
・フリー百科事典『ウイキペディア』「ARPANET」、「インターネット」、「インターネットの歴史」、「NCSA Mosaic」、「インターネット・バブル」