サイバー曼荼羅 −コンピュータ文化をカウンターカルチャーのフィルタを通したときに見える世界−【第4回:自由の番人とその霊感を得たもの】
リチャード・ストールマンが始めたフリーソフトウェア運動は、ソフトウェアという情報を自由に共有するという思想を普及させるための活動であり、この普及のための道具として、コピーレフトが作り上げられた。著作権を英語で「コピーライト」ということを知っている人以外は、コピーライトをもじったものとは想像できないであろうこのコピーレフトについて、まずは概観したい。
フリーソフトウェアの思想は、GNU GPL(GNU General Public License)というソフトウェアライセンスとして実装され、以降、フリーソフトウェアは、GNU GPLとともに配布されるようになった。GNU GPLは、ソフトウェアに関する著作権はソフトウェアを書いたプログラマ(著作権者)が保持しつつ、ソフトウェア及びそのソフトウェアを利用した二次的著作物としてのソフトウェアについては、その利用・再配布・改変を妨げないというライセンスである。このライセンスに違反した場合は、ソフトウェアの著作権者であるプログラマが、著作権に基づいて権利行使を行うことができる。
このように、ソフトウェアの自由な共有をルールとして確保しつつ、これに反する場合は著作権に基づく規制がなされるという仕組みであって、著作権に基づいてユーザを規制するのではなく、著作権を用いてユーザを規制しないように促す契約形態のことをコピーレフトと称している。
このコピーレフトという言葉は、著作権を意味するコピーライトに着想を得た言葉であって、著作権を表示する際によく用いられるフレーズである「Copyright – all rights reserved」(全ての権利は(著作権者に)留保されている)をもじった「Copyleft – all rights reversed」(全ての権利は逆さまにされている)というフレーズに由来するという。ちなみに、コピーレフトという言葉は、ストールマンの友人のプログラマであるドン・ホプキンスの着想によるものである。
ソフトウェアの共有を目指すコピーレフトの出口には、実は、ソフトウェアの共有を規制する方向に作用するコピーライト(著作権)が待っているという、表裏が入れ替わるようなギミックを用いた構図は、漫画や小説、あるいは映画などのシナリオにもよく用いられており※1、その意外性に読者や鑑賞者が驚嘆や爽快感を味わうように、個人的には、著作権を利用してソフトウェアの自由な共有を確保するという極めて巧妙に作り上げられた仕組みはもちろんのこと、ネーミングも実にウィットに富んでいてシャレが利いたそのトータルな設計を作り上げたストールマン及びその周囲の人物に、深い尊敬の念を抱かずにはいられない。
コピーレフトでは、著作物としてのソフトウェア及びそのソフトウェアを改変した二次的著作物としてのソフトウェアを配布する場合には、全く同じ条件で配布しなければならないことから、そのソフトウェアあるいは改変したソフトウェア(さらにそれを改変したソフトウェア、またさらにそれを改変したソフトウェア、またまたさらにそれを改変した・・・)は、転々と配布され続ける限り、改変、複製して再配布、かつ改変したものを配布できるフリーソフトウェアであり続けるのである。このようなコピーレフトの性質は、コピーレフトの「ウイルス性」などとややネガティブに表現されることもあるが、別の見方をすれば、着想を得て新しいものを創り出す創作活動を支援する仕組みであるとみることもできるだろう。
コピーレフトを実装した上記のGNU GPLを用いた新たな創作活動の例として、Linuxを挙げることができる。Linuxこそ、山ほどの書籍や論評や分析が存在するが、サイバー曼荼羅としては、コピーレフトが出てきた以上は避けて通ることができないテーマである。
Linuxは、ヘルシンキ大学の学生であったリーナス・トーバルズが、1991年に独自に開発したカーネル※2を中心としたOSである。Linuxは、当初はカーネルだけであり、後に、GNU GPLを伴って配布されたフリーソフトウェアに基づいた機能的なプログラムが、Linuxカーネルに追加されて配布されるようになった。そのようなこともあって、LinuxカーネルはGNU GPLをライセンスとして採用している※3。
GNUプロジェクトの成果を多く用い、GNU GPLをライセンスとして採用しているからといって、トーバルズがフリーソフトウェアの思想に影響を受けていたのかといえば、実はそうでもないようだ。トーバルズはエンジニアであり、GNU GPLの仕組みが現実的に有益であると判断して技術的な観点からフリーソフトウェアを求めたのであって、ストールマンのようにフリーソフトウェアの思想を信奉してそれを追い求めたものではない※4。実際に、トーバルズはフリーソフトウェアではない商用のソフトウェアも好んで使用しているようである。
その後、トーバルズはLinuxをメーリングリストで公開し、そのメーリングリスト上で、Linuxは世界中のプログラマによるコミュニティで集団的に開発されるようになった。コミュニティに参加すれば、開発は誰でも行うことができたし、修正やバグの報告も自由に行うことができたが、その採否についての最終的な判断は、トーバルズが行った。
しかし、コミュニティのプログラマの数が数千人規模となると、トーバルズは、その判断についても自分の周囲にいる信頼できる優秀な共同作業者(「副官」とよばれるらしい。)に任せるようになり、これがLinuxの開発を加速させ、広く普及する結果につながったのである。
このようなLinuxの開発手法を分析したエリック・レイモンドは、その論著である『伽藍とバザール』の中で、Linuxの開発にみられるような、複数人が自由に開発を進める開発手法を「バザール方式」と称するとともに、GNUプロジェクトにみられるような、少数の優秀なプログラマが開発を進める開発手法を、「秘教的な知識を備えた僧侶だけが入れる荘厳なカテドラル(伽藍)」に見立てて、「カテドラル(伽藍)方式」と称した※5。
この『伽藍とバザール』において、エリック・レイモンドは、トーバルズについて、ストールマンのような天才的なハッカーではないとしたうえで、Linuxカーネルの構築の功績もさることながら、それ以上に「バザール方式」でソフトウェアを開発するモデルを「発明」した点にこそ最大の功績があると評価している。
ところで、この頃、すでに、GNU GPL以外のライセンスによってソースコードを公開し、複製・改変・改変結果の配布を許諾するソフトウェアが多く存在していた。一方で、フリーソフトウェアの「フリー」という語感が企業活動にそぐわないとしてフリーソフトウェアを敬遠する動きや、思想的・道徳的な価値観に基づいてフリーソフトウェア支持者がプロプライエタリ・ソフトウェアを攻撃することに起因したフリーソフトウェアへの反感などの動きもみられた。
このような流れを受けて、ソースコードを公開し、複製・改変・改変結果の配布を許諾するライセンスを伴うソフトウェアについては、「オープンソースソフトウェア」と称することが採択された※6。ここに、オープンソースソフトウェアが誕生したのである。
オープンソースソフトウェアは、ポストフリーソフトウェアとして誕生したとみることもできる。ソースコードの法的規制に対するカウンターとして登場したフリーソフトウェアを、ライブハウスからスタジアムへと舞台を移した伝統的なロックに対するカウンターとして登場したパンク・ロックになぞらえるならば、ポストフリーソフトウェアとしてのオープンソースソフトウェアを、ポストパンク/ニュー・ウェイヴになぞらえることは、比較的たやすいことである。
このようになぞらえることができるのは、フリーソフトウェアに対してオープンソースソフトウェアが持つ近未来的なイメージ※7が、パンク・ロックに対してポストパンク/ニュー・ウェイヴが持つ近未来的なイメージと重複するところに帰着するからであると個人的には考えるのだが、牽強付会に過ぎるであろうか(そうでもあるまい。)。
関連情報を参考までに挙げるならば、SFのひとつの分野として挙げられるサイバーパンクの代表的な作家の一人であるウイリアム・ギブスンは、ポストパンク/ニュー・ウェイヴの代表的なバンドであるジョイ・ディヴィジョン※8を聴きながら、インターネット時代を大きく先取りしつつサブカルチャーとしてのインターネット文化に大きな影響を与えたSF小説『ニューロマンサー』を書いたといわれている。
ところで、その『ニューロマンサー』をかつて読んだときには、サイバー世界に関する私の知識が及んでおらず、知識不足に起因する小説中の世界観の広さを理解できなかったことから、断片的な場面のイメージについてはうっすらと記憶に残っている部分はありつつも、そのストーリーについては、残念ながら「何も覚えていない」(“I remember nothing” ※9)のである。
<注>
※1 前世の世界を滅ぼしたのは、前世では月の女王であって現世では悪の組織「ダーク・キングダム」と戦うセーラームーンであるという実写版の『美少女戦士セーラームーン』(当時中学生であった北川景子や泉里香(当時の芸名は「浜千咲」)は、この作品で女優デビューを果たしている。)や、霊が見えるという霊感を持っていることに悩む少年のメンタルをケアする精神科医自身が、実は霊であったという『シックス・センス』や、刑事である主人公(プレイヤー)の部下であるヤスが実は連続殺人犯であるという筋書きのテレビゲーム『ポートピア連続殺人事件』などが例として挙げられるが、他にもいくらでも存在するであろう。
※2 ソフトウェアは、一般的に基本プログラムとその周辺のプログラム(ルーチン)とによって構成され、この基本プログラムをカーネルという(ロン・ホワイト 著(2015)『ビジュアル版 コンピューター&テクノロジー解体新書』(SBクリエイティブ))。
※3 GNUプロジェクトに基づいて開発がなされ、GNU GPLをライセンスとして採用しているという経緯から、LinuxはGNU/ Linuxと称されることがあるものの、一般的には、簡易だからという理由で単にLinuxと称されることが多い。しかし、リーナス・トーバルズもリチャード・ストールマンも、GNUプロジェクトの成果物を伴って配布されるLinuxについては、GNU/ Linuxと称するべきであるとしている。
※4 フィンランド出身のトーバルズは、西海岸のハッカー文化にみられるようなカウンターな思想をもっていないものと考えられる。
※5 菅野政孝 大谷卓史 山本順一 著(2012)『メディアとICTの知的財産権』共立出版 P.178
※6 ヴイエー・リサーチ社で開催されたオライリー社主催の会議において。ストールマンはもちろん、この命名に否定的であった。
※7 フリーソフトウェア原理主義とでもいうべきフリーソフトウェアの精神に対して一定の距離をおきながらバザール方式の開発手法が採られることが多いオープンソースソフトウェアのほうが、フリーソフトウェアよりも洗練されているように見えるからなのか、オープンソースソフトウェアにはどこか近未来的なイメージが漂っているように個人的には感じる。
※8 ボーカルのイアン・カーティスが創り出すダークで圧倒的に断絶的な世界観が、聴く者を選別するかのような厳しさをもつバンドである。1stアルバムの「Unknown Pleasures」は、不朽の名盤である。
※9 “I remember nothing” ジョイ・ディヴィジョン(1979)
<参考文献>
・菅野政孝 大谷卓史 山本順一 著(2012)『メディアとICTの知的財産権』共立出版
・エリック・スティーブン・レイモンド 著 山形 浩生 訳(1999)『伽藍とバザール』光芒社
・渡部俊也 著(2012)『イノベーターの知財マネジメント 「技術の生まれる瞬間」から「オープンイノベーションの収益化」まで』白桃書房
・隅藏康一 編著(2008)『知的財産政策とマネジメント 公共性と知的財産権の最適バランスをめぐって』白桃書房
・ロン・ホワイト 著(2015)『ビジュアル版 コンピューター&テクノロジー解体新書』(SBクリエイティブ)
・フリー百科事典『ウイキペディア』「コピーレフト」