サイバー曼荼羅 −コンピュータ文化をカウンターカルチャーのフィルタを通したときに見える世界−【第3回:尊師が導く先にあるもの】
ソフトウェアという情報は自由に享受されるべきであるという信念に基づいたフリーソフトウェア運動を主導したのは、あるときには畏怖の念とともに、あるときには嫌悪の感情とともに語られる突き抜けたハッカーのリチャード・ストールマン(「RMS」※1とも表記される。)である。
ちなみに、リチャード・ストールマンは、ハッカーとヒッピーとが交錯する領域には存在していないが、最後の真正なハッカーとも称されており、このような称号からも推察できるように、リチャード・ストールマンを知ることでハッカーの片鱗をうかがい知ることができると考えられることから、サイバー曼荼羅では避けて通ることができない最重要人物の一人である。
リチャード・ストールマンは、もじゃもじゃの髭とロン毛といった風貌(この風貌に起因して「尊師」とも呼ばれることがある。)※2や、冗談とも本気ともつかない言動※3から、一部ではとてつもない変人扱いをされているが、ハーバード大学で最難関とされる数学の授業である「Math55」で好成績を残し、マサチューセッツ※4工科大学(MIT)のAI研究所の優秀なプログラマとして活動するなど、その頭脳のレベルは常人のそれをはるかに凌駕した天才であるといわれている。
その当時のMIT のAI研究所は、ハッカー文化の拠点の一つであり、所内でのコンピュータ資源へのアクセスは自由であったが、1977年にユーザ認証が導入されることとなり、これに対してリチャード・ストールマンは大いに反発したようである。
一方で、この当時のソフトウェアの世界ではソースコードの複製が自由に行われかつ公開されていたところ、1980年のアメリカの著作権法の改正によって、アメリカにおいてソースコードが著作権で保護されることとなった※5ことを契機として、多くの企業がソースコードの複製や配布を禁止する方向に動くこととなった。このような動きの中で、リチャード・ストールマンも、AI研究所のコンピュータの入れ替えに伴うOSの積み替え作業において、自由にソフトウェアをいじれないことにフラストレーションを募らせていったようだ。
そこで彼は、誰もが自由に使えて改変もできるソフトウェアを作ろうという着想に至り、当時、広く着目されていたUNIXと完全互換のOS及びソフトウェアの開発環境を全てフリーソフトウェアで開発するというプロジェクトである、GNU(「グヌ〜」と読む。)プロジェクトを開始すると宣言した(GNU宣言)。1985年のことであり、以後、コンピュータの世界に大きな影響を与えるストールマンの独特すぎる世界観に基づいた運動、すなわちフリーソフトウェア運動が始まったのである。
ストールマンの世界観がどのくらい独特であるのか、例えるならば、「女王」と名乗る英国が誇るロックバンドであるクイーンが作り上げた、ロック界の千夜一夜物語ともいえる「オペラ座の夜」(The Night At the Opera)くらい、独特の世界観があるのではないかと個人的には考えている(もっとも、近年の映画の影響によって、クイーンの「オペラ座の夜」の独特な世界観もかなり普遍的になったようにも思える。)。
ちなみに、GNUは「Gnu is Not Unix」(グヌ〜はUnixではない)の頭文字をとったものであって、「GNU」のうちの「G」を表す「Gnu」が実は「GNU」であるという、いささかトートロジーで人を喰ったような命名である。
フリーソフトウェア運動を開始するにあたって、リチャード・ストールマンは、いかなる目的に対しても実行することができ、必要に応じて改変することができ、有償無償を問わずに複製して再配布することができ、かつ改変したものを配布することができるものがフリーソフトウェアであるという、フリーソフトウェアの概念を作り上げた。
なお、ここでいうフリーとは無料のことを意味するものではなく、自由に実行でき、自由に改変でき、自由に複製して再配布でき、かつ自由に改変したものを自由に配布することができるという意味である。このような文脈での「フリー」(自由)のことを、英語圏では「free as in “free speech(言論の自由)”」などと表現するようである。
この後、リチャード・ストールマンはフリーソフトウェア運動を展開する。フリーソフトウェア運動は、フリーソフトウェアの概念を広めて、フリーでないソフトウェアを世の中から取り除いていくことを目的としている。すなわち、フリーソフトウェアの啓蒙(普及)活動である。フリーソフトウェア運動を展開するにあたり、リチャード・ストールマンは、いくつかの「道具」を使っている。
道具その1、「フリーソフトウェアの歌」である。まずは、私がいらぬ御託を並べる前に、この「フリーソフトウェアの歌」をググって聴いてみてほしい。
「・・・・・・・」
いかがだったろう。
「なんなんだ、これは・・・」奇妙なリズムや節回し、耳の奥にやけにこびりつく不思議なメロディ。最初に聴いたときには強烈な印象を受けつつも呆気にとられ、頭の中には「???」が踊っていたが、よく考えてみると、歌(曲)そのものの面妖さ※6というよりも、この歌をリチャード・ストールマンが歌っているということが、この歌に異様な霊気を与えているのではないかと思うのである。動画のタグには、「教祖様」、「歌ってしまわれた」などといったリチャード・ストールマンに対する愛情いっぱい(?)のタグがつけられている。私も、この歌を契機として、リチャード・ストールマンのユニークなキャラクター面の魅力に惹かれたのである。
なお、この歌は世界中のフリーソフトウェア運動家によってリミックスされた種々のバージョン(テクノバージョン、デスメタルバージョン、リズミカルバージョンなど)が存在するようである。個人的には、デスメタルバージョンに興味津々である。
「フリーソフトウェアの歌」の歌詞に着目してみると、
我々とともに来たりて、ソフトウェアを共有せよ;
ハッカーたちよ、君らは自由になる、自由になるだろう;
我々とともに来たりて、ソフトウェアを共有せよ;
ハッカーたちよ、君らは自由になる、自由になるだろう;
溜め込み屋どもは金をタンマリ稼ぐだろう;
ハッカーたちよ、それは本当だ、それは本当だ;
だが、奴らはみんなを助けられない;
ハッカーたちよ、それは駄目、それは駄目だ;
自由なソフトウェアが十分に増えたなら;
ハッカーたちよ、我々の呼びかけ、我々の呼びかけで;
あの汚らしいライセンスを追い出すのだ;
ハッカーたちよ、金輪際永遠に、永遠にだ;
我々とともに来たりて、ソフトウェアを共有せよ;
ハッカーたちよ、君らは自由になる、自由になるだろう;
我々とともに来たりて、ソフトウェアを共有せよ;
ハッカーたちよ、君らは自由になる、自由になるだろう;
(フリー百科事典『ウイキペディア』「フリーソフトウェアの歌」)
これは、もはや宗教である。「ハッカーたちよ、それは駄目、それは駄目だ」や、「あの汚らしいライセンスを追い出すのだ ハッカーたちよ、金輪際永遠に、永遠にだ」あたりのくだりには、狂気すら感じる。実際に、リチャード・ストールマンの熱烈なシンパ(信者)は世界中に存在するようであり、情報の自由を阻害するという考えに基づいてソフトウェアに関する特許についても批判を行っていることから、海賊党の界隈からのシンパも多いという(海賊党については、後日、書くことになるだろう。)。
ちなみに「フリーソフトウェアの歌」の歌詞も、フリーソフトウェアの精神に則ってなのか、パブリックドメイン(公共財)とされている。
道具その2、「コピーレフト」である。フリーソフトウェア運動を展開する道具は数多く存在する(例えば「Emacs教会の聖イGNUチウス」等)ものの、最も重要な道具はこのコピーレフトである。コピーレフトは、フリーソフトウェアの遺伝子であり、この遺伝子が受け継がれることで、現在のデジタル技術を語るうえでは欠かすことのできないオープンソースソフトウェアが生まれたといっても過言ではない。このような流れから、フリーソフトウェア運動の最大の成果は、コピーレフトを作り上げたことであるとする向きもあるようである。
情報の自由がサイバーな世界で実現されるとすれば、サイバーな世界は、無秩序に情報がやりとりされる“無法の世界” ※7なのだろうか。否、コピーレフトというれっきとしたルールによって設計された世界なのである。
<注>
※1 リチャード・マシュー・ストールマン(Richard Matthew Stallman)の頭文字である。
※2 本稿の後半部分を読むうえでも、ぜひググってその風貌を見てほしい。
※3 子供が産まれた知人に対して「お悔やみ申し上げる。」とのメッセージを送ったとか、インタビュアーの質問に対して笛を吹いて答えるといった、数々の逸話(武勇伝?)がある。
※4 マサチューセッツという地名を見る(聞く)と、個人的にはビー・ジーズの「マサチューセッツ」(Massachusetts)を思い起こさずにはいられない。2ndアルバムの「Horizontal」に収録された、メジャー調ながらも哀愁漂う曲調の背筋が凍るほどの名曲である。洋楽では、オリコンチャートで初の1位を獲得した曲でもある。
※5 知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPs協定)10条1項には、コンピュータ・プログラムが文学的著作物として保護されることが規定されている。
※6 メロディのオリジナルは、ブルガリアの“サディ・モマ”という歌に由来するが、オリジナルはいかにもブルガリアらしい、ヨーグルトのCMにでも使われそうな爽快なメロディであって、面妖さとは程遠いものである。
※7 「無法の世界」(Won’t Get Fooled Again)ザ・フー(1971)
<参考文献>
・菅野政孝 大谷卓史 山本順一 著(2012)『メディアとICTの知的財産権』共立出版
・クリス・ディボナ サム・オックマン マーク・ストーン 編著 倉骨 彰 訳(1999)『オープンソースソフトウェア 彼らはいかにしてビジネスタンダードになったのか』オーム社
・フリー百科事典『ウイキペディア』「フリーソフトウェア」、「フリーソフトウェアの 歌」