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バタシー発電所と建築物の意匠(主にバタシー発電所を中心とした建築物の建築美について 建築物の意匠をトッピングとして)

2023.04.21

※本記事は、知財系ライトニングトーク#20 拡張オンライン版 2023 春に参加しています。

目次

1.バタシー発電所について

バタシー発電所を知ってもらうに際して、まずはバタシー発電所に対する私の思い入れを記すことから始めたい。

私が初めて買ったCDは、英国プログレッシブ・ロックの雄、ピンク・フロイドの「狂気」(Dark Side of the Moon)であった。その音響美学に圧倒されてひたすら聴きまくり、以後、ピンク・フロイドのアルバムを次々と追い求めていったところ、その中の1枚が「Animals」であった。この「Animals」は、音楽面では他のピンク・フロイドのアルバムと比べるとはっきりいって凡庸な感がある(異論は認める。)ものの、そのジャケットアートは極めて秀逸であった。

Animals/Pink Floyd (1977) Harvest

 このジャケットアートにみられる異様な建築物が、ロック・ファンには非常に有名なバタシー発電所である(テーマが外れてしまうので、本稿では、薄暗くなりはじめた空に浮かぶ「豚」については取り上げない。)。私がバタシー発電所を知ったのも、この「Animals」がきっかけではあるが、だいぶ後になってから、ザ・フーの「四重人格」(Quadrophenia)というアルバムのブックレット(実はこちらのほうが「Animals」よりも早い。)や、ビートルズの映画「ヘルプ!4人はアイドル」(Help!)にも登場していることを知るのであった。だがしかし、ロック・ファンにとってバタシー発電所といえば、やはりピンク・フロイドなのである(異論は認めない。)。

白い4本の煙突の存在がこの世のものとも思えないような異様な雰囲気を醸し出す巨大な発電所の建築美に私は惹かれ、1983年には操業が停止されて既に廃墟化していることは知っていたものの、いつかは直に見てみたいと長年、思い続けていた。その思いがいよいよ抑えきれなくなり、バタシー発電所の訪問を最大の目的としたブリティッシュ・ロックの軌跡を辿る聖地巡礼の英国旅行を、2000年に決行したのである。

 

2.バタシー発電所の思い出

地下鉄のヴィクトリア線に乗って、テムズ川を越えたところにあるロンドン郊外の中心駅であるVauxhallで下車すると、そこは労働者の街らしく、この街には似つかわしくない日本人の私に向けられるいくつものいぶかしげな目線を避けながら、バタシー発電所を目指した。Vauxhallは、日中は安全だが夜はけっこうヤバい土地らしいという何かの本の記述が頭に残っていたから、ドキドキしながら歩いていたことを今でも覚えている。

Vauxhall駅

駅から5分も歩くと、突如、とてつもなく巨大な廃墟が目に飛び込んできた。ついに見てしまった。その異様な佇まいには、ピンク・フロイドの魔力がかけられているかのようであった。旅の目的の半分が終わってしまったどころか、人生で目にすべきものの半分を見てしまったかのようだった(誇張し過ぎかもしれない。)。

ようやくご対面

いつまでも見飽きることなく、私は発電所の周囲を散策しながら、あらゆる方面からの発電所の存在する風景を頭に焼き付けつつ写真に収めていった。発電所の正面を走るナイン・エルムス・レーンのとある位置から見ると、4本あるはずの煙突が3本しかないように見えるし(いわゆる「オバケ煙突」である。)、同じ地平線で発電所を「横腹」から見ると、その存在感に圧倒されるし、テムズ川を越えた裏側から見ると、天井は撤去されて内部が空っぽであることが分かる。廃墟化が進んでいることは、一目瞭然であった。

オバケ煙突

発電所の横腹

内部はからっぽ

次の巡礼地に向かう予定時刻が迫りつつあったが、どうしても離れがたかった。それは、「もう二度とここには来られないかもしれない。」という強迫観念によるものであったかもしれないし、仮に次に訪れることがあったとしても、同じ風景ではあり得ないことがはっきりとわかっていたからかもしれない。実際、この旅行以降、私は英国を旅行していないし、後述するように、現在のバタシー発電所は、当時のそれとは全くの別物になってしまっているのである。

後ろ髪を引かれながらも、私は次の巡礼地へと足を向けたのであった。

 

3.建築物の意匠

バタシー発電所を訪問して以降、私はにわかに建築物に関心を持つようになった。

無機質に組まれた鉄骨が印象的な建築物の写真をジャケットアートにした、ディスク・ユニオンでたまたま見かけた「SCOPE」という日本のインディーズバンドのCDは、その建築物の暗い雰囲気に私の心がざわついてしまい、ついつい「ジャケ買い」してしまった(音楽も、透明感があってとてもよかった。)。

キキ/scope (2000) ダイキサウンド

 この建築物が何であるのか知りたいと思い、当時、隆盛していたmixi(!)のSCOPEのコミュニティで質問したところ、横浜の根岸競馬場だということが判明し、後年、根岸競馬場を訪問した。バタシー発電所と同様に、すでに閉鎖されて廃墟化しており、印象的だった鉄骨は落下のおそれがあるということで、残念ながら撤去されてしまっていた。

他にも、『廃墟漂流』という全国の廃墟ばかりを収めた写真集を購入して見入ったり、常磐自動車道の三郷ICの近くにある細密なプラントに心を惹かれたり(私のTwitterプロフィールのヘッダ画像を参照いただきたい。)等といったように、一時期は種々の建築物の建築美あるいは構造美に惹かれていた。有名どころでは、黒川紀章の中銀カプセルタワービルの近未来感も悪くないので、何度か足を運んだものである。

建築物や構造物に対するこのようなある種の憧憬は、2000年代の初頭における、「住宅都市整理公団」の総帥を名乗る写真家・文筆家の大山顕の活動(『工場萌え』や『団地の見究』等といった写真集の刊行やメディアへの露出等。)やその他の有識者の活動によって顕在化され、深いところに長らく潜んでいた建築物マニアを地表に引っ張りだした。すなわち、建築物マニアの世界はサブカルチャー化されたのである。

想像の域を出ないものではあるが、地表に引っ張り出される前の建築物マニアは、世間に気づかれないで自分だけが知っている世界に身を置いている心地よさ、あるいは他の人が手を出さないものに手を出してしまっている後ろめたさ(背徳感?)に起因する陶酔感があったかもしれないのであり、そのような感覚が、サブカルチャー化されることによって侵食されてしまったと感じているかもしれない(しつこいが、あくまでも私の勝手な想像である。)。

サブカルチャー化されただけならばまだしも、建築物に対する憧憬の世界は、例えば、京浜工業地帯の「夜の工場夜景クルーズ」などのように、大衆化されてデートプランにまでなるくらいまで進んでおり、ある部分では、サブカルチャーの枠を超えて一般化されているといってもよいであろう(コアな建築物マニアは、このようなプランには興味がないかもしれない。)。

ともあれ、このような建築物等への憧憬は、当然のことながら建築物のデザイン(意匠)に美的な価値が認められるから生じるのであって、そのような美的な価値が認められる建築物の意匠を法的に保護する制度として、わが国では意匠制度を用意している。

意匠制度は、物品の形状等、建築物の形状等あるいは画像に施された意匠を保護する制度である。長い間、意匠制度では、動産として取引される物品の形状等のみを意匠と把握して保護しており、土地に定着する不動産である建築物は物品ではないとして、どんなに優れた意匠が施された建築物であっても、意匠制度で保護することはできなかった。

しかし、近年、顧客との最初のユーザインターフェースとしても機能する店舗等の外観に特徴をもたせることによって、ブランド的な価値を生み出そうとする創意工夫がみられるようになっているところ、このような創意工夫が容易に模倣されてしまうと、店舗等の外観の開発に投じたコストが無駄になるばかりか、外観デザインを起点とした競争優位性をも毀損してしまうことになる。

このような観点から、令和元年(2019年)の意匠法改正によって、建築物の意匠も意匠制度で保護されることになったのである。建築物の意匠が意匠制度で保護されることによって、建築物の外観等が有するブランド的な価値(顧客吸引力と読み替えても差し支えない。)が保護されることになったとも考えられるであろう。

なお、意匠制度は、建築物等の美的な外観である意匠という「情報」(アイデア、コンセプト等)を保護する制度であって、物理的な現物を保護するものではないから、一定期間、その姿を「情報」として固定することはできたとしても、バタシー発電所という現物を保護することができる制度ではない。朽ち果てるバタシー発電所を荒廃から守る方策としては、例えば文化財として保護していくこと等が考えられるであろう。

 

4.バタシー発電所の現在

ところで、先に述べたように、現在のバタシー発電所とその周辺は、私が聖地巡礼の英国旅行をした2000年の当時とは大きく様相が変わってしまっている。当時は、鉄道の引き込み線がある広大な敷地にどっかりと鎮座していたのであるが、現在は、引き込み線があった敷地には高層マンションやオフィスビルなどが建ち並んで一つの街区を形成しており、発電所は街区内の施設の一つになってしまったかのようである。テムズ川を越えた裏側からは、もはや発電所の姿を見ることができなさそうである。もちろん、「豚」も飛んでいない。

外壁のブロックは残しつつも、そもそも発電所自体が、おしゃれなアパレルショップなどが入居する商業施設へと改築されており、さらに、発電所の象徴でもある4本の煙突のうちの1本はなんと、展望エレベータになってしまっているというのである。煙突内を昇降するガラス張りのエレベータが煙突の頂部に到着すると、ガラス張りのエレベータかごが展望台になるというのだ。アミューズメント施設としては面白いかもしれないが、この情報を得たときには、私は大いに落胆してしまった。

夜間には華やかにライトアップされて(どうやら煙突も光るようである。)一大観光スポットとなってしまった現在の姿よりも、荒廃が進行して壮絶な廃墟感が漂っていた、私が訪れた当時の姿のほうがどれほど美しかったことか。文化財としての保護などという色合いは、微塵も感じられない。あえて悪態をつくならば、なんとも無残な生き恥を晒す屍と化してしまったかのようである。発電所の「遺構」としての価値は消失し、新時代の何か別物に転生したと考えるほうが、私の心の安定にはよいのかもしれない。

 

<注>

※ 小林伸一郎(2001)『廃墟漂流』(マガジンハウス)

 

<参考文献>

・特許庁総務部総務課制度審議室 編(2020)「令和元年 特許法等の一部改正 産業財産権法の解説」(発明推進協会)

・Marshall Blog 【イギリス-ロック名所めぐり】vol.51 〜変わりゆくロンドン<その1>

http://www.marshallblog.jp/2020/07/-vol49-1-1907.html

 

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